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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)795号 判決

控訴人 株式会社大修館書店

右代表者代表取締役 井上堅

右訴訟代理人弁護士 石川泰三

辛島睦

小室恒

被控訴人 株式会社文昌堂

右代表者代表取締役 渡辺初男

右訴訟代理人弁護士 長井清水

主文

原判決中被控訴人関係部分を取り消す。

被控訴人と磯貝酉平との間において被控訴人が磯貝から昭和四一年六月三〇日活字地金一一、四四七キログラム、レッテ屑二一キログラム、トタン屑五〇キログラムを買い受けた売買を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し一三七万七、九二五円及びこれに対する昭和四一年七月一日以降右支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用中控訴人と被控訴人との間に生じた部分は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用及び認否は、次に、附加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決四枚目―記録三二丁―表二行目「営むために」とある後に「同種同等同量のものを返還すべく」を加え、原判決六枚目―記録三四丁―裏末行に「同三巻判作」とある後に「(第一回)」を加える。)

一  被控訴代理人は、次のように述べた。

1  被控訴人は磯貝酉平との間で昭和四一年六月三〇日同人に対する七六万三、五八二円の債権と同人から昭和四一年六月三〇日買い受けた主文第二項表示の活字地金等代金一三七万七、九二五円の債務のうち対当額とを相殺し、残代金六一万四、三四三円を同年六月三〇日現金で同人に支払う約定をした。

2  ところが、被控訴人は、昭和四一年六月三〇日磯貝から六一万四、三四三円の領収書を受領した直後、控訴人から抗議を受けたので右残代金の支払いを中止し、その後、磯貝らの指示により湧井照子に対し同年七月一日二一万四、三四三円、磯貝の指示により同人に対し同年八月二五日二七万一、〇〇〇円を次いで同年一〇月二四日株式会社万上商店に一二万九、〇〇〇円を支払って残代金の支払いを完了した。

二  控訴代理人は、「前記活字地金等の代金一三七万七、九二五円が売買当時における相当の価格であったことを認める。」と述べた。

三  証拠≪省略≫

理由

一  控訴人が磯貝酉平、野見山義広、磯野皆吉、磯崎一義(以下、「磯貝ら四名」という)に対し昭和四〇年一〇月一日磯貝ら四名が共同で印刷業を営むために貸し渡した活字地金一三、一二五キログラム、活字鋳造機一台、鋳型三個付属器具、活字母型四四、一六一本につき昭和四一年六月三〇日右磯貝に対し返還請求権を有していたことは当事者間に争いがなく、磯貝ら四名が共同で印刷営業をする目的で借り受けた事実に徴すれば、前記借用物返還債務を不可分とする暗黙の合意があったものと推認することができる。そして、≪証拠省略≫によれば、前記物件のうち活字組版諸設備すなわち活字鋳造機一台、鋳型三個付属器具一式は控訴人所有のまま活字地金一三、一二五キログラム(三、五〇〇貫)とともに、控訴人から磯貝らに対し、貸付期間を昭和四〇年一〇月一日から昭和四一年九月三〇日までとし、右期間満了時に時価をもって評価したうえ、その評価額で磯貝らが控訴人から買い取るべく、活字地金は、同種、同等、同量のものを返還する約定であったこと及び控訴人が磯貝らに貸し渡した当時活字地金一三、一二五キログラムは一七三万六、〇〇〇円相当であったことが認められる。

被控訴人が昭和四一年六月三〇日右磯貝からその所有の活字地金一一、四四七キログラム、レッテ屑二一キログラム、トタン屑五〇キログラム(以下「活字地金等」という)を代金一三七万七、九二五円で買い受けたこと及び右代金額が活字地金等の代金として相当の価額であったことは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、動産が相当な価格で売却された場合にも、それが債務者の重要な資産であるときにはこれを隠匿、費消し易い金銭に換えることは、一般担保を実質的に減少させるものであるから、詐害行為となるが、債務者がその債権者を害することを知っていたというためには、詐害の結果を意欲することは必要でないが、単に動産を金銭に換えることを認識するだけではなく、債務者の資産が形式的に減少しなくても、実質的に減少することが取引観念上もはや一般債権者の忍び得ない状況にあることを知ることが必要であると解すべきである。

これを本件についてみるのに、

1  ≪証拠省略≫によれば、控訴人は、辞書発行を目的として昭和二三年九月整版課、昭和二九年三月写植課の現業部門を設けたが、昭和四〇年八月末までに同部門で一、〇〇〇万円を超える欠損を生ずるに及んで右両課を同年九月かぎり廃止することとし、同年八月三一日、両課勤務の職員に対し、独立して事業をする場合には後援する、他社への就職をあっせんする、退職しない場合には自社の他の部門への配置転換をする旨の案を示したところ、磯貝ら四名は、共同で印刷業を営むと申し出たので、控訴人は、右四名に対し前記一冒頭記載の物件を無償で貸与し、かつ、校正刷機等機械五点、文選ケース、植字台などを贈与したこと、磯貝ら四名は、大修印刷という名称で、他から同年一〇月一日東京都北区桐ヶ丘所在木造トタン葺平家建工場一棟建坪二一坪を賃借し、同月二〇日頃から「大修印刷」または、大修印刷有限会社と称し、二〇名ないし二五名の従業員を使用し、当初は野見山次いで磯貝が事実上の代表者として印刷業を営んでいたが、「大修印刷有限会社」は、正式に会社として設立されたものではなく、磯貝ら四名の共同事業として運営され、磯貝が全権を他の三名から委ねられていたこと、右事業は、昭和四一年三、四月頃から資金繰りが困難となり、同年四月頃不渡り手形を漸く買い戻したが、同年五月頃控訴人から印刷代金の仮払を拒絶されるに及んでますます資金繰りに窮し、磯貝と野見山、磯野とは経営方法などについて意見を異にするに至り、遂に野見山、磯野は同年六月末かぎり事業から手を引くこととなっていたことが認められる。

2  ≪証拠省略≫によれば、前記共同事業から被控訴人あてに振り出された金額七万三、〇九〇円の約束手形が昭和四一年五月一四日ついに不渡処分となり東京銀行協会東京手形交換所から取引停止処分を受けるに至り、同年六月七日湧井照子から活字地金五〇〇貫を担保に、弁済期同月三〇日の約定で二〇万円を借り受け、しかも、当時約二三人の従業員に対し同月末に支払うべき約一〇〇万円の給料についてもその資金調達のあてはなく、既に相当額の立替、貸付を受けた控訴人からも、金融を拒絶されていて、その資金繰りに苦慮していたことが認められる。

3  他方、≪証拠省略≫によれば同年六月三〇日当時磯貝ら四名は、凸版印刷株式会社から預っていた活字地金約一トン、控訴人から預っていた活字地金を含めて約一六トンを有するだけであったが、同日午後五時頃、凸版印刷株式会社が大修印刷の事業の前途を危ぶみ預けていた活字地金約一トンを引き揚げた後は、活字地金約一五トンを残すだけであり、これ以外に資産はなく、磯貝は、同日午後七時前野見山からの電話により右引揚の事実を知っていたことが認められる。≪証拠判断省略≫

4  ≪証拠省略≫によれば、これよりさき、磯貝酉平は、昭和四一年五月半ば頃から被控訴人に対し融資を申し入れていたが、被控訴人は、同人に対する活字、同地金の買掛代金債務を清算しなければ融資に応じようとしなかったので、磯貝は、同年六月三〇日、支払いを迫られている一〇〇万円を借り受けるためには、工場に手持ちの活字地金のうち約三〇〇〇貫(一〇・五七五トン)を被控訴人に売却し、その代金で前記買掛代金債務を清算するほかはないと考え、共同経営者である野見山義広ら三名にはかることをせず、独断で、被控訴人との間に、磯貝ら所有の活字地金約一一・三トン、事業継続には必要としないトタン屑を時価で売り渡し、磯貝らが被控訴人に対し負担する買掛代金債務等七六万三、五八二円を前記売買代金中対当額で相殺したうえ、事業継続のため必要な一〇〇万円を被控訴人から翌七月一日借り受ける旨約束し、即日電話で当時大修印刷工場の職長であった須藤吉春に右融資の了解を得たことを告げ、従業員らの給料支給を翌日にすることの了承を求めたが、須藤は容易にこれを信用せず、電話口に出た被控訴会社池袋支店夏山次長から「明日金を出す。」旨聞いてはじめてその旨を従業員らに伝え、従業員らを午後四時三〇分の定時に帰宅させたこと、磯貝は、従業員らが工場にいる間に活字地金等を搬出することによって従業員らに不安、動揺を起すのをおそれ、被控訴人と協議して同年六月三〇日従業員らが帰宅後活字地金等を被控訴人に引き渡し、同夜中に搬出をおわらせようとし、同日夜野見山の反対を押し切って活字地金一一・四四七トン、レッテ屑二一キログラム、トタン屑五〇キログラムを計量の上、代金一三七万七、九二五円で被控訴人に売り渡し、控訴会社の抗議にもかかわらず、翌七月一日早朝、被控訴人に引き渡しをおわって搬出させたこと、その際、被控訴会社取締役総務部長三巻判作は、磯貝から右代金と被控訴会社の磯貝らに対する手形債権、売掛代金債権七六万三、五八二円とを対当額で相殺することを承諾する旨の相殺契約書と残代金六一万四、三四三円の領収書とをいずれも同日付で徴しながら、前記搬出、引き渡しの際、貸金二〇万円の返済を強硬に迫った湧井照子の代理人に対し、前記残代金のうちから元利金二一万円を支払ったほかには、残代金の支払いをしなかったことが認められる。≪証拠判断省略≫

5  ≪証拠省略≫によれば、前記4の活字地金等引き渡し搬出のあと、工場には、控訴人から預り、置版ケースに入れてあった活字地金二―三トンを含めて活字地金は約三・七五トン(一、〇〇〇貫)しか残っておらず、文選ケースの地金もなく、文選ケース等も散乱して、当時の従業員をもってしては、再び仕事にとりかかれるよう整理するのに数日間を必要とするような状況であったばかりでなく、前記3の凸版印刷株式会社による委託地金が既に引き揚げられた跡も歴然としていたので、従業員らはもはや未払給料の支払を受ける見込はないものと考え、野見山及び磯貝に迫って工場内に残された活字地金、活字鋳造機一台、活字母型等を売却させその代金を給料に充当して四散したこと、その頃磯貝から被控訴人に対し活字地金全部を失った旨報告があったので、被控訴人は、磯貝の事業継続ができなくなったとして同人に対する融資を中止したことが認められる。≪証拠判断省略≫

右3及び4の事実に徴すると活字地金一一・四四七トン、レッテ屑二一キログラム、トタン屑五〇キログラムは、昭和四一年六月三〇日夜には磯貝らの有して重要な動産であるというべきであり、以上1ないし5の事実関係のもとにおいては、磯貝らは、既に同年五月一四日手形の不渡処分を受けたうえ、これに前後して控訴人からは金融を拒絶され、のち凸版印刷株式会社からは預託地金一トンを引き揚げられ、他方、活字地金五〇〇貫(一・八七五トン)を担保に借り入れた二〇万円と従業員の給料一〇〇万円を同年六月末の期日に支払ができる見込はなく債権者からも従業員からも見限られていて、まさに倒産寸前の窮境に陥っていたものであるから、磯貝酉平は当時すでに活字地金等が重要な動産であり、これを売り渡すことが取引観念上債務者の資産を実質的に減少させるものであって、一般債権者の忍び得ない状況に置かれていることを知っていたものというべく、本件動産の売却は債権者を害する行為であり、磯貝には当時詐害の意思があったと認めるのが相当である。

二  被控訴人がその後磯貝らの指示により昭和四一年七月一日中に湧井照子に対し二一万四、三四三円の支払いをおわり、さらに磯貝の指示により同年八月二五日同人に二七万一、〇〇〇円、同年一〇月二四日株式会社万上商店に一二万九、〇〇〇円を支払って買受残代金の支払いを完了したことは、控訴人が明らかに争わないので、自白したものとみなす。しかし、≪証拠省略≫によれば、磯貝酉平が前叙不渡処分を受けた約束手形の金額は僅か七万三、〇九〇円であるのに、右手形は預金不足の理由により支払いを拒絶されたものであり、しかも、右手形は受取人である被控訴人の所持していたものであることが認められるばかりでなく、≪証拠省略≫によれば、被控訴人は同年同月一六日右手形を買い戻したことが認められるから、同人は、同月中に既に磯貝が右のような不渡処分を受けたことを知っていたものと推認すべきであり、右の事実と≪証拠省略≫によって認められる被控訴人が活字地金等の搬出を夜間に強行した理由は磯貝に対する債権の清算を急いだからである事実及び前記1ないし5の各事実ことに工場従業員の磯貝に対する不信から被控訴人会社池袋支店次長が電話に出たこと、活字地金等の引渡搬出が工場従業員帰宅後夜間に実施されたことを考えあわせると、被控訴人は本件売買当時活字地金等が磯貝の重要な資産であり、その売却により、同人の一般財産の担保力が実質的に減少し、控訴人ら債権者が害されることを知っていたものであると推認するのが相当である。≪証拠判断省略≫

そして、活字地金等は被控訴人が昭和四一年七月頃他に転売して現在返還不能であること、その本件売買時の価格が一三七万七、九二五円であったことは、いずれも当事者間に争いがない。してみれば、被控訴人に対し、前記売買の取り消し、ならびに、活字地金等の返還に代えてその価額と同額の一三七万七、九二五円及びこれに対する右売買の日の翌日である昭和四一年七月一日以降支払いずみまで民事法定利率による年五分の遅延損害金の支払いを求める控訴人の請求は正当として認容すべきである。

三  よって、原判決中以上と判断を異にする被控訴人関係部分は、失当であるから民訴法三八六条により、これを取り消して控訴人の被控訴人に対する請求を認容すべく、訴訟費用の負担につき同法八九条、九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西川美数 裁判官 園部秀信 森綱郎)

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